この本のことはNHK「おはよう日本」で知りました。その番組で作者がインタビューに、「相模原の事件での『障害者はいなくなればいい』という発言に対して、どのような言葉で語れば同じような考えを持つ人たちに自分の思いが伝わるか」と話していました。あの“バナナかよ”の作者である渡辺一史さんがどうのような言葉で語っているのか興味を持ち、すぐに本屋に走りました。なぜなら自分も同じ歯がゆい思いを抱いていたからです。

正月に例の映画(バナナかよ)を観て、最近原作も読み返したところでした。自分は作者の渡辺さんと同世代で、ちょうど同じ頃に自立生活センターで筋ジスの方の介助ボラをしていたこともあって、心が通じ合える感覚があり(勝手な思い込みですが)、渡辺さんならこのもやもやを吹き飛ばしてくれるだろうと。

小学校のころ大っ嫌いだった読書感想文を自ら書いているなんて、その頃の自分が知ったら「裏切り者!」って腹わた煮えくり返るだろうな、と思いつつ。

本の内容としては相模原の事件から始まり、“バナナかよ”の主人公である鹿野さんとの話、ノーマライゼーションのこと、自立生活センターのこと、最後に介助の現状を交えたまとめ、というような構成になっています。若い人向けに書いたということでとても読みやすい文章です。

やはり自分のこころが震えたのは、重度心身障害者の方と「通じ合った」ときの話でしょう。意思疎通が困難な方にあいさつをしても手を握っても全く存在を認めてもらえなかった作者がはじめて「通じ合った」と感じたとき。この気持ちを味わえるならどんな苦労もいとわないと思えるような幸福感。人生での最上級のギフトをいただいたようなそんな気分。

でも、相模原の事件の被告はその感動を味わえなかったのかもと書いています。3年以上もの長い期間を施設で働いて、もしほかの職員は味わえて自分だけ味わっていなかったとしたら、これはなかなかの絶望感、屈辱感でしょう。自分だけギフトをもらえないだけではなく存在すら認めてもらえなかったのだから。

意思疎通が難しい重度の障害者でも意思はある。そう考えると彼ら彼女らに被告を拒絶する何かがあったのでしょう。どうしてもこころを開けない何かが。

でも、こういった話も届かない人には届かないのでしょう。税金の無駄という観点から「障害者はいなくなればいい」と考える人に対してはこの本にも書いてある事例などから説得もできると思います。ただもっと深いところでの理解を求めるにはどうしたらいいのでしょう。やはりお互いを知る、関係を持つことから始めるしかないと思います。そして誰もが支え、支えられて生きていることを身をもって知れば、被告に同調する人たちの凝り固まった心をほぐすことができる、と信じたいです。